戦争がはじまって恐怖と無力さに呆然としている中、
とても身近な友人にも祈るしかできないことが起きた。
状況を知らされてもコロナ禍で病院に駆けつけることはおろか、一番しんどいであろうご家族に病状を逐一たずねることも憚られる中で、わたしがしていたことはただ集中治療室で闘っている友人を想い、泣くか、祈るか、それだけだった。
夜は息子にくっついて寝た。
翌日は土曜日だった。
すぐに何かあったら駆け付けられるようにと夫が車を手配してくれていたのだけど、まだ意識が戻らないという内容とともに「Danger isn't over.」という返信がきて、また胃が痛くなった。(旦那さんはイギリス人)
友人はわたしと同い歳で、4歳と1歳の幼い子どもがいる。二人の子には説明もむずかしい状況で妻の無事を願う旦那さんのことを考えると、やはり彼のペースで連絡を待つことしかできないと思った。子守りは彼女の両親も一緒にいるので大丈夫とのことだった。
大動脈瘤の破裂。
調べずとも最悪な想像が簡単に浮かんでしまうシリアスな現実と、彼女がいつも纏っている飄々とした雰囲気がどうしても似合わない。
さぁ行こうっ ジョージと一緒に〜♪
週末らしい陽が差し込むリビングのTVで『おさるのジョージ』が始まった。ふだん観ないくせにテレビ放映のジョージには大喜びする息子が案の定目をキラキラさせてはしゃぎだした。
全てがあまりにも日常で、いまこの瞬間彼女の家族にも同じ時間が流れていることを突きつけられる。
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車で少し遠い公園に出かけた。
何も調べずに海沿いへ行ったら、思いがけず離着陸の飛行機が行き交う絶景スポットで、海風がびゅんびゅん吹きつける中、さむ〜いーー!と言いながら大迫力の飛行機をみんなで見上た。
釣りをしている人、椅子を持ってきてコーヒーを飲みながら空をみている人、三脚のカメラを覗き込んでいる人。
大人たちに混ざって、2歳児も気ままに楽しそう。
途中、いい感じの棒を拾ってやたらご機嫌な息子。
楽しいか、楽しくないか。
シンプルな感情で生きている息子といるとこちらの感情まで単純化される。
本当はもっとできることがあったかもしれない、こういう伝えればよかったかな、、でも今送ったら逆に気を遣わせてしまうかもしれないし、どう思うかな。
そんな考えも息子を追いかけていると吹っ飛んでしまうから不思議だ。
この小さな瞳に映る世界の平和を守ること。
息子を笑顔にすること。
頭よりも体が勝手に動く。
そのたしかな手触りに救われる自分がいる。
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She has woken up.
LINEの通知に細く息を吐いた。
大丈夫。
あんなかわいい子が二人もいる。
ぜったいに大丈夫。