話したい

三年くらい通ってる歯医者へ定期検診にいったら、はじめましての歯科衛生士さんに「お子さんおいくつですか」と聞かれて、

「え、あ、12月が誕生日なんで1歳になりました」と慌てて答えたら、

「12月のいつですか?」

「あ、クリスマスです」

「えー、そうなんですかーー♡♡♡じゃあ、プレゼントふたつで大変ですね♡♡うちにも小さいのがいるんですー。1歳半なんですけどね。はい、イス倒しますねー」

といまだかつてない軽快かつフレンドリーな対応をされてドギマギした。

え、なぜ子供がいることを??と一瞬思ったが、妊娠中であるとか、産後であるとか、なにかしら以前伝えたことがカルテに書いてあったんだろう。

 

そこから「うがいしてくださいー」と椅子を起こすタイミングで

「誕生日、スマッシュケーキとかお寿司とか作りました?♡」とか、「プレゼント何あげたんですか?」

「えっと...、手押し車を」

アンパンマンのやつですか、それとも木のやつですか!?♡」

「あ、え、木のやつです」

「へーそうなんですねー♡ イス倒しますねー」

 

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はい、うがいしてくださいー

 

よし、次はわたしから。「スマッシュケーキ作りました?」

「作りました〜〜〜〜♡お寿司もつくってお寿司は全然食べてくれなかったですけどね♡」

「いまってアンパンマンとかはまってます?」アンパンマンより“おかあさんといっしょ”がもうやばいです。ずーっと見てます♡」「へーーそうなんですね」「ずっと見ません?♡」「うちはあんまりおかあさんといっしょ見てなくて」「あ、もしかしてテレビとかあんまり見せない方針とかですか?」「いえ、ぜんぜんめっちゃ見せてます。おかいつやってる時間帯に家にいないんですよねー」「あ、そうなんですね〜 イス倒しますね〜♡」

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これを何ターンもやった。

(幸い歯に異常はなく、ほぼマンツーでのクリーニングDay)

 

こういうオチも要点もない話しを延々できちゃうのがママトークなのだと、産んでからわかった。以前はよくこんな(クソ)つまんない話しを延々してられるなーとそばで聞いていた側だったのに。

とくに、子どもの歳が近いとなると無限にしゃべれてしまう。というか、ほぼ多くの人のとっては全くどーでもいいー些細な事でも、この人へならしゃべってOKと赦される気がするし、たぶんそれは正しい。

 ....てか、

育児中心の生活って、どーでもいい話ししか溜まらなくないですか!と思う。

 

たとえば、仕事で昔からずっと憧れだったブランドと一緒にものづくりができるっていう大きなニュースがあっても、今のわたしには、息子が熱を出した、とか息子の前髪がヘン、とか息子のアウターが他の子と比べて寒そうだから買ってあげなきゃとか、毎夕16時に届く保育園からの「今日の息子」infoの方が圧倒的に高い関心ごとで、仕事のニュースはさらっと消化してしまう傾向にある。

以前だったら、きっと夫へ鼻息あらく報告していただろうと思うのに、そんなことより息子の話しばっかりしてる。

 

そんな些細かつどーでもいい話しばっかりしてるから、仕事のあれこれとか瞬殺で頭の片隅にポーイとやってしまう。

 

振り返ってみたら、育児をしている先輩や友人みんなこんな感じだった。

わたしが仕事で顔をぐしゃぐしゃにして感情を振り乱しているときも、どこか涼しげな顔で相談にのってくれていたし、帰り姿に絶対領域のような空気をまとっていた。

こういうことだったのかーーーーーーーー

 

ただ、所詮それがわかったところで、人の子供の話しというのが第三者にとって死ぬほど退屈だということを熟知しているので、やっぱりわたしのムスコトーーク🌈は夫で消化するしかない。

オチのない育児話しを延々すること、それを人は親バカと呼ぶのだ。

 

.....でも些細じゃない子供のはなしなんて、もはやそれは大事件だろ!

 

ムスコトーーーク🌈  

最近「もしもーし!」というと、グーの手を耳に持っていくようになった。

この仕草が可愛くて、夫と一日に何度ももしもーしを要求してしまう。

 

さらには名前をよぶと「はーい」と手を上げ、空になったお皿をみせて「ごちそうさまでした」というと、背を丸くして手を前に合わせるようになった。

天才かもしれない。

 

バスが通るといっしょうけんめいに手を振る。

昨日は、予防接種の帰り道ベビーカーからずっと手を振っていた。バスとトラックの区別がまだつかなくて大通りだったため終始手を振るのにいそがしそうだった。

いとおしい。

 

 

 

ほらね。

 

 

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