断乳からの寝不足、さらに生理が重なりメンタル底辺をひた走るここ数日、
ふいに「ランチでもどうー?」と誘ってくれた友人に
即レスで「いく」と返した。
頭はずっとぐわんぐわんで体調はすぐれなかったけど、
ちょっと無理してでも息子以外、夫以外のだれかと話したかった。
ミッドタウンでランチして、
国立新美術館前を通って、
SOLSO PARKでビル群を見上げながら
たわいもない話しをして帰ってきた。
友人は二人目となる赤ちゃんを連れていて
空が青くて、
てきとーに買ったコーヒーが美味しくて、
ベビーカーから穏やかな寝顔がのぞいてて、
歩いてるだけで満たされるものがあった。
気づけばやっぱり子育てと夫婦の話ししかしてなかったけど、
友人といる自分、近所以外のレストランでふつうに食事を楽しめてる時間があまりに懐かしく、あれなんでこういう自由を手放してたんだっけ?と一瞬コロナ無き世界を錯覚してしまった。
六本木の空。
こんなことになって、東京を離れた方がいいのかなと何度も思ったし、
いまでもその考えは無くなってはいないのだけど、
ここにきて東京が沁みるようになってきた。
若かった頃の、いまよりもっと慎重さが足りなくて幼稚だった頃の自分がみていた強く鮮やかな色彩とはちがって、もっと淡く繊細な色で入ってくる。
人の多いところで降りよう、暮らそう、と決意する。
東京に行けば、ひかりの存在一人分くらいを、町が隠してくれる気がした。自分の存在を消してくれるような場所で、暮らしたかった。
小説『朝が来る』にでてくる一節。
田舎の生きづらさ。
都会の生きづらさ。
わたしにとって東京は東京で、本当の居場所は実家のある田舎ですというようなテイでなんとなく生きてきたけど、暮らしてきた時間でいうともはや半々になる。
いつまでお前は東京のお客様なんだよ、と自分で思いながら数年経つが、子を持ってより迷いが出てきている。
というか率直に、息子は「東京の子」になるのかぁ..... ほえぇ....(すごいデスネェー)という感じだ。
まぁ息子の人生だから人ごとではあるのだけど。
3.11、あの日の都内の景色を鮮明に思い出せるように、何年後何十年後には、あぁコロナの時、東京で幼い息子を抱えて大変だったなーとか思い出したりするんだろうなー。
あぁ、東京との距離が定まらない。