「引っ越すこと、言えたら言うわ」
といって息子と保育園へ向かった夫が
「(グスッつ)... 先生に言ってきた」と涙をためて帰ってきた。
引っ越しを決めてからというもの
保育園を離れねばならないことが心にずーんと居座っていた。
もう少し自然に触れる環境においてあげたい、
もう少し広い家でのびのび遊ばせてあげたい。
そんな想いとは裏腹に、友だちもできて毎日楽しく通っている保育園を変えてまで引っ越すべきなのかと悩んだ。
物件をみたときにピンときたものはあった。
川沿いの小高くなった桜並木を家族で歩きたい、と思った。
もう少し大きくなった息子が土手を走り回っている姿がぼんやり浮かんだ。
フローリングではなく絨毯敷きの家に一度は住んでみたいと思っていた。
光の入る広いリビングで仕事する自分を想像した。
結局のところ、わたしの中の小さな好奇心がうずいていた。
「息子のため」じゃない。自分のために引っ越すんだと認めたら妙に背中が軽くなった。
なにごとも「誰かのため」という気持ちを起点にすると複雑になる。
そんなことを考える余地もなく進めるときはいいが、ぐるぐるぐるぐる巡っているときには結局のところ起点を自分にしておいたほうが後々の精神衛生的にヘルシーな気がするのだ。それに、親になったからといって多くのことを「息子のため」と思いながら生きていくことはなんとなく違うような気がしている。
それにしても、、、
こんな小さな好奇心で家族としての大きな決断をしてしまっていいんだろうかと思ったが、正直いままでの人生、その起動スイッチでしか生きてこなかったのでそれ以外の決め方がわからない.......と夫がメリット・デメリットの話しをしだした家族会議でぼんやり思った。
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久しぶりに住む街がガラッと変わる。
はたして息子は認可保育園に入れるのか。
いざ暮らしてみたら駅前に何もなさすぎて嫌になるかもしれない。(わたしが)
We'll see.
こんなことを文字にする程度に不安はあるが
一抹のギャンブル感にわくわくしてないといえば嘘になる。
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1歳2ヶ月の息子はというと、
家の中に小高い場所を見つけては
果敢によじ登ることを日課にしている。
ソファ、そしてリビングテーブルの登頂に勢いづいた今は、
背の丈ほどあるベッドに挑んでいるが、気合いを込めた「よしっ」という掛け声だけ一丁前で毎回わたしに剥がされている。
それでも隙をみては寝室へ侵入しチャレンジをやめる気など毛頭ない様子。
たのもしいっす。
はじめてトーストして出したら、え、うまっと顔を向けてきた。バレた。