10月28日

両胸摘出から術後8日目。

ドレーンとよばれる管が両脇から4本ぶらさがっていて、その先には袋が一つずつついている。

 

手術は麻酔を含めると10時間近くかかった(らしい)。

真っ白なオペ室で、エビのように丸くなって背中から麻酔を通された後、“今回の麻酔は呼吸器に近いところに効かせるので、完全麻酔ではなく少し弱いものを使っていきますね” というようなことを麻酔医から言われて、仰向けに戻りながら、え!?え?痛み感じるの!?こわいってーーーーー・・・・・と意識が遠のき、目覚めたら再びオペ室で「ぽてこさん、終わりましたよ」と看護師さんに声をかけられた。数年前に建て替えられたばかりのオペ室は、ドラマでもなかなか見ないほどの最新設備で、空間把握がバグるような白さというかNASAっぽさというか、真ん中にぽつんと置かれたベッドが妙に非現実的だった。左の壁には巨大なモニターがすっきりと埋め込まれていて、わたしがベッドに横たわるとmy脈拍が鮮やかに映し出されていた。

 

 

 

痛い。

麻酔から覚めると視界はぼんやりしつつも頭はしっかりと戻っていて、「旦那さまがお待ちですよ」という声かけに“あ〜待ってられたんだ、よかった〜〜”と思った。

 

痛い

 

息子のお迎えは同じマンションの友人ママに頼んだという。

「痛み止めは我慢せずに看護師さんに言いなよ」と病室を出る夫に返事をすると、一人になった。

 

痛い 

 

そこから2、3日はけっこう頑張ったと思う。

痛みに耐えた、という点では間違いなく自己ベスト更新。

 

 

微動するだけで気が遠くなるという経験は、帝王切開をゆうに超えてきた。頭を動かすことも、スマホを目の前に掲げることもできない。食いしばると涙が出てきた。

 

息子といちばん長く一緒にいれる選択をしたつもりが、、いつの間にかとんでもないものを差し出してしまったかもしれない。朝玄関で息子にハグをして仕事に出かける、そんな日常を自ら手放してしまったのだろうか。わたしが一番失いたくなかったもの。

部分切除にしていれば......

馬鹿だわたしは。

 

痛みの中で思考を深めると、この後悔がどうしても頭をよぎった。

遺伝子検査の結果を聞いた日から、強く進もうと決めた日から、ほんとうはずっと抱えていた不安。

 

術後2日目の夜、父からLINEがきた。

“君には時々驚かされます。今回のことも様々な思いが凝縮された決断だったのだろうと察しながら、あなたらしさを素直に受け止めています。大きな決断をするときは、たくさんの思いも同時に入ってきます!誰しも。迷わないで自信を持って欲しい” 

 

考えてみたら、大事な相談ほど人にしないわたしの性格は父譲りなのかもしれない。

 

 

自分の弱さも抱えて進めばよかったんだ。

そう思うと、覚悟を決めてから今日までの時間がなかなかしんどかったことを思い出して涙腺が決壊した。心のどこかをずっと鈍らせることで立っていたから。

わたしにしては結構がんばったと思う。

 

 

そっち側

 

何がどうして両胸全摘出に至ったのか。

これを話すのがしんどい。今も。

 

ざっと事実を並べると、会社で受けた健康診断の《要再検査》から、6月にステージ0という超初期の乳がんが見つかった。仕事の合間に通院を重ねさまざまな検査を一通り終えて、その他に異常はみられず手術に向けての準備がスタート。

そこでずっと迷っていた遺伝子検査も受けることにした。先生いわく、検査を受けた人の20人に一人が陽性っていうレベルのもの。がん=遺伝性という可能性はわたしたち一般人が考えているほどそんなに高くないとの説明もあった。

 

20人に一人、

そっち側だった。

 

今回の乳がんを切除しても、再発率40%。

がーーーん(一旦ね)

 

そんなのさ、20分の1を引き当てたわたしにとって、40%なんてほぼ100%なんですけど、と文系丸出しな感想しか浮かんでこなかった。

 

わたしにとって一番大切なこと。

それは息子と少しでも長く過ごせることだ。

 

先生の説明をぼんやりと聞きながらも、何をどう考えたってそこは揺るがない自分に安心して答えはすぐに出た。

 

全摘出

 

 

だん。両脇からチューブを垂らした術後8日の夜、これを書いているが、やっぱり何度考えてもこの答えを選んでいただろうと改めて思う。

べつに迷ってもいいだろ、とも思うので、結局よくわからないけど、

 

 

とにもかくにも、

痛みから生還しました。

 

いぇーーい(一旦ね)

 

 

 

大丈夫。日常は戻ってくる。

いまはそう思える。

 

人間の身体ってちゃんと回復してすごい。もう少し入院生活なのでまた書きます。