「人生相談」といえば、
鴻上さんか幡野さんじゃないかと思うんですが、
その幡野さんの方です。カメラマンの。
SNSでいくつか読んでいたけど、あらためて一冊まとめて読むと結構ずっしりきて、いろんな言葉が自分のなかの深いところまでゆっくりと沈殿していく感じがあった。
鴻上さんの回答が「処方箋」だとすれば、幡野さんは鮮やかにプスっと心の一番痛い部分を刺さしてくる「刺激療法」という感じ。
なぜかずっと浮かんでたわたしの脳内イメージは、死刑囚に会いに行って透明の壁越しに悩みを相談しているところ。
末期がんの筆者を死刑囚なんて失礼すぎると思うかもしれないが、死を悟ってるイメージというよりは、幡野さんのどこか達観したハードボイルドな思考が、あまりに俗っぽくなくてそんなイメージになったのだと思う。
そして、そんな死刑囚に話をきいて欲しいと次々訪れる「相談者」に結果的には感情移入してしまう。どんな悩みもかすってもないのに。
幡野さんは何でもお見通しだ。
一通のお便りから、相手のことを丸裸にしてしまう。例えそれが1行であっても。
その洞察力たるや、まぁ見事で、同じ文章読んでなぜその核心に辿り着く?と感心してしまうし、むしろどんな生き方してきたんだよ幡野さん、と何度も思った。
相談「内容」ではなく「相談者さん」にまず目を向ける姿勢が誠実でやさしい。
答えに嘘がない。
人の目を気にした常識や道徳観などは一旦置いといて、
どこまでも血の通った言葉で伝えてくれる。
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うまく言えないけど、この本を読み終えた今、わたしも息子に対してそんな風に向き合っていきたい、となんとなく思い描いていた「親子関係」のイメージ解像度が上がった感じだ。
たとえば、わたしは人付合いが得意な方ではないし、そういった悩みは夫に相談したらいいよと思うのだが、もしも息子がわたしの目の前で悩んでいたら、誰かから投げられた一言に傷付いていたら、「そんな言葉気にしなくていいよ」とは言えない。なぜならわたしがめちゃくちゃ気にする性格だから。自分にできないことを息子に求めるのはちがうなーと思う。
たぶんわたしにできるのは、「わかるよ」と言って隣りに座って一緒に考えてあげることだろうなと思う。
余談
昨日の食卓で「ねーねー、小さい頃って悩みを親に相談とかしてた?」と何気なく夫に聞いてみた。
夫「いやー、殆どしてなかったんじゃないかな。相談した記憶がない」
そっか、男の子ってそんなもんかもなーとフムフム考えてると、
夫「あ、でも一個だけ覚えてるわ。小学校2年で一時期いじめられてた時、お風呂場でめっちゃ泣いたことがあった」
私「どういう状況?一人で?」
夫「いや、なんでか忘れたけど、お風呂場に母さんもいて、具体的に相談したとかじゃないけど、感情が溢れ出してしまって母さんの前でめちゃくちゃ泣いた。たぶん母さんも気付いてたんじゃないかなー」
脳内で、小さな夫と息子が重なった。
お風呂場でうわぁーと堪え切れずに泣き出す息子。
......だめだ、
そんなん母も泣く。