頑張ったオブザイヤー 2018

一心不乱に仕事するというシンプルな方法で、採卵ショックから3日目にしてだいぶ立ち直ってきた。職場での雑談も積極的に参加した。なんであれ人間笑ってたら結構元気になってくるものだ。ほんとよく出来てる。

昨日は旦那と焼肉を食べながら、「今年はどんな一年だった?」と師走らしい会話で盛り上がった。「今年のハイライトはねー、やっぱり不妊治療かな」という私の答えに「だよな、俺も」と満場一致。「って、俺はそんな通って大変だったとかないけど」と付け加える辺りがあまりに彼らしくて、ふふっと笑ってしまった。

今年、といっても私たちがクリニックに通い出したのは6月だが、それ以前の上半期....何してたっけ?という感じだ。漫才の歴史がダウンタウン以前と以後で分けられるならば、わが家の歴史不妊治療以前と以後で分けられると言いたい。(勝手に言う)

 

4回の人工授精と1回の採卵。

文字にしたらたったこれだけだけど、よくがんばったと思う。わたしも彼も。

身体の機能・妊娠の仕組みについて無知だったわたしたちは、一つ一つ勉強しながら検査結果と向き合い、人工授精4回の陰性に落ち込み、出費から目を逸らし、大きな期待とともに体外受精に進み、卵がないという衝撃に打ちのめされ、未来への希望を見失いながら2018年を終えようとしている。

多くの人が当たり前にできることが私にはできない。なんで私はいつも小数の方にはいってしまうのか。統計とはなんなのか.....。時には全身骨折状態のメンタルで、ヘトヘトになりながらも、彼の腕を掴み、ファイティングポーズをとってなんとか進んできた。心もボッキボキなら、道もボッコボコで、振り返ればあれも良い道だったなんて一つも思わない。それでも、二人でここまで続けてきたことは、まぁよくやったんじゃないかとも思うのだ。

 

友だち

この苦しい経験とともに、得たこともある。人生わりとイージーモードできた私に、努力は報われないこともあるのだと突きつけるタイミングは、どこかできっと必要だったはずだ。

今のわたしには、同じような状況で不安を抱えてる人の気持ちがわかる。最初、クリニックに通うことでさえ勇気がいることも。減っていく貯金をみながら、答えが見えない道を進む辛さも。世間の〝普通〟に振り回されて自己嫌悪になる気持ちもわかる。すべて、去年まではわからなかった感情だ。そして、がんばったりがんばらなかったりする私にも声をかけ続けてくれる、仲間や経験者たちのやさしさが身にしみる。

本当にバカみたいなことを言うが、ツイッターがあってよかった!と心底思っている。私の不妊治療は、まさにツイッターとともにあった。ブログをはじめたこともそうだ。会ったこともない誰かの言葉に励まされることも、私の言葉がだれかの励ましになることもあるのだと知った。職場の友人、家族とでは共有できない些細な心配事や一喜一憂に寄り添ってくれる人たちがいた。年齢もちがえば、治療の段階もちがう。受け止めるべき現実はみんなそれぞれあるが、ボッコボコになりながら進んでいる姿をみせられると「......自分........まだ、やれます」と言ってしまうではないか。誰かの投稿が止まると心配になるではないか。誰かが落ち込んでいたら声をかけたくなるではないか。これは立派な友だちではないか。そして、唐突にこんな熱いことを言ってもいいではないか。年末なのだから(笑)

 

2018年のわたしは、はたから見たら何も変わってないと思うが、恥ずかしげもなくこんなことを書きたくなっちゃったりもするし、人の痛みについても想像を巡らせることが多くなった。人間は無いもののことばかり考えるようにできているのだと知ったし、ニュースをみても少数派の声へ耳を傾けたいと思うようになった。

夫婦はというと、よりお互いを尊重できるようになった。

 

こうして去年の自分よりは少しマシな自分で、

去年の二人よりも強い二人で、年を越す。

 

年末年始はしばし不妊治療のことを忘れて、また来年から頑張ろうと思う。

少し止まると書いて「歩く」ってね!

 

お疲れさま、とぅーみー。

お疲れさま、みなさま!