不妊治療ビギナー

「最近どうしてる?」と聞かれれば、

不妊治療してるー」としか言いようがない。

それくらい今のわたしは、そのことばかり考えている。

 

生活はというと、仕事も結構しているし、旅行も頻繁に行っている。ジム通いも始めた。オンラインサロンなるものにも入ってみたし、お酒も飲んでいる。髪切ろうかなーとか、来月のNY出張どこいこうかなーとか、そんなことも考えるし、本の感想をツイートしたり、冷蔵庫の野菜を腐らせたりしている。

側から見たらいつもの私だ。

 

でも、最近どう?とか聞かれると、「不妊治療」のことを伝えずして、何も喋ることがないような気さえしている。

いや、考えている、、、とも違うかもしれない。なんというか、心の一定スペースをずっと占領されているという感じだ。

 

なんとなく始めた不妊治療。

この2ヶ月は、わたしを随分変えたと思う。

 

 

決意

 

最初は勇気がいった。

 

私には太めの明るい旦那がいる。客観的にみても、わたしたちはすごく仲のいい夫婦だと思う。休みの日には何をするわけでもなく、ダラダラと好きに過ごして夜は決まって飲みに出かけた。結婚3年目。わたし36歳、旦那37歳。

 

「子供のいない人生もあるよね」と飲みながらよく話した。帰り道には鼻歌をうたいながら手をつないでケラケラと笑って帰った。わたしは、そんな時間に白黒つけたくなかった。「欲しいなら早い方がいいよ」という善意の声も鬱陶しかった。周りがなんと言おうと、わたしはまだ笑っていたいんだと耳を塞いでいた。

 

「あなたには、子供が産めません」

と言われることが怖い。

 

怖くて仕方ない。

 

それでも、病院に行ってみようと決めたのは、自分の仕事に対する姿勢にイライラしていたからだった。

結婚3年目。ある日突然妊娠するかもしれない、そう考えると正社員の今の仕事を続けておいた方がいいんじゃないか。転職してすぐに妊娠してしまったら、育休も手当ても十分に貰えないんじゃないか。ましてや、独立なんてしたら動けない=稼げなくなってしまう。

今まで頼ってきた自分の直感がわからなくなってしまった。変化を恐れるよりも、やらない後悔をしたくないと生きてきたのに。

 

わからない未来を待って、

立ち止まってる自分がくだらないと思った。

 

もう、先延ばしにしたくないと思った。

 

 

クリニック・デビュー

 

治療は、あらゆる検査から始まった。

多い時には週三日ペースで通わねばならない。働きながらその時間を捻出するのは本当にしんどい。これ以上ごまかせないと思い、社内にも伝えた。

 

不妊クリニックはいつ行っても大盛況だ。週末ともなると50人以上の人が今か今かと名前を呼ばれるのを待っている。

 

新しいビルの最上階。

広々とした待合スペースは壁一面大きなガラス窓で、暗い雰囲気はない。スタッフも明るい。先生の肌ツヤもいい。

 

間違いなく儲かっている。

たぶん、めちゃくちゃ儲かっている。

 

そりゃそうだ。毎日毎日こんなに多くの人が治療に来て、何万も支払いしているのだから当然だ。

 

お客さんの中には、わたしよりずっと若い子もいれば、上もいる。診察室から明るい声がうっすら聞こえていると思ったら、焦点の定まらない思いつめた表情で目の前を通っていく人もいる。治療の方法も違えば、抱えている事情もみんなそれぞれだ。戦っているのは自分一人じゃない。

 

それでも、

ひとつ一つの検査結果を聞くたびに、

心臓がドクンと跳ね上がった。

 

いい数値もあれば、悪い数値もあった。どんな結果も冷静に説明を聞こうと努めた。いい大人が動揺をむき出しにして、どう見ても忙しいスタッフに心のケアまで負担させるのは申し訳ないと思った。そして毎回、診察室を出るときには、ふぅーーーっと声がでた。

 

結論から言うと、わたしたち夫婦には、ネガティブな要素はいくつかあるものの、不妊の原因として明らかに特定できるものはみつからなかった。わたしが一番恐れていた言葉はなかったということだ。

 

ホッとしたはずなのに、正直その感情はあまり覚えていない。

 

検査がつづく最初の1ヶ月は、今まで向き合っていなかった事柄に対する情報量があまりに多すぎて、ひとつ一つ処理するだけで気持ちが精一杯だったように思う。一喜一憂しないようにと心にブレーキをかけていたこともある。そんなわたしに旦那はいつも気付いてくれていた。不妊治療はどうしたって女性の負担が大きい。それは仕方ない。不安をブワっと吐き出すことはなかったけど、彼は彼なりにわたしの気持ちに歩調を合わせようとがんばってくれた。仕事の都合がつくときには一緒にクリニックへ行ったし、行けないときには「お疲れさま」「どうだった?」と必ずメールがきた。

家でわたしがちょっとでも元気なさそうに料理をしていると、歌って踊りながらキッチンを通ってお風呂に入っていった。彼は、彼の会社の人たちにも「不妊治療しているので、この日は休みます」と伝え、一緒に戦ってくれた。

 

そして、わたしを笑顔にしようといつも全力だった。

 

 

現実

 

これまで二回人工授精をしたが、

赤ちゃんはできない。

 

こんな夫婦、ごまんといる。

 

それが現実だ。

 

 

それが、何だとも思う。

 

それほどまでにわたしは子供が欲しいのかも正直わからない。

 

わたしの家族とは、彼だ。

わたしたちは夫婦で、「家族」だ。

 

夜泣きの辛さだって、子育ての難しさだって経験していない。年老いていく互いの両親に孫をみせられない。わたしたちだって苦しい。

 

生産性がない、と括られれば悔しいが、

お前より幸せだとも言いたい。

 

幸せだけど、苦しいのだ。

 

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それでも時々、世間が決めた人生の着地点にしばられてるのは、わたし自身なのかもしれないとも思う。子供のいない家族は、どんなゴールを描いたらいいんだろう、と。

 

答えも見えてなければ、

その覚悟もわたしにはまだない。

 

ずーーっと地に足がついていない。

 

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なにかの本で読んだ一節をここ最近よく思い出す。

「感情は年を取らない。その対処が大人になっていくだけでー」

そんな言葉だったと思う。

 

わたしにとって、

不妊治療に向き合うということは、

自分の力ではどうしようもない現実があると知ることだった。

 

努力は報われないし、

正解はずっとわからない。

 

でも、この経験は、

自分のこころへの対処を大人にした。

確実にした。

 

人生に酸いも甘いもあるとすれば、

これは神様がくれた酸いなんじゃないかと思う。

 

 

だから、がんばりたい。

 

 

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わたしには大好きな家族がいて、不妊治療をしています。日本人です。

 

それが今のわたしのアイデンティティだ、

と堂々ここに宣言する。