カレンダーをみたら、引っ越してちょうど三週間だった。
この間なんども頭に浮かんでいた本をようやく引っ張り出して読み返してみたら、記憶の上をいくシンクロ具合で、情景ごと自分の中に溶けていくような感覚になった。
物事が大きく動くときにはさまざまなことが同時に起きるけれど、いいことも悪いことも巻き込みながら変化していくことは体力も気力も随分と消耗するのだなと改めて実感した。引っ越しにまつわる諸々の手続きや雑用、子どもの保育所入所の手配なども一気に片付けないといけないのもあったからだろう、ふと気がついたら白髪が増えて後頭部が小さく丸くはげていた。
それでも東京ではなかなか見られないような美しい夕焼けが部屋の窓から見えたり、さまざまな生類の気配を感じられる生活はそういった諸々の面倒なプロセスを経ないと得られなかったのだ、と川の音を聞きながら気持ちを鎮める日々である。
新しい家に少し慣れた4月27日、
新しい病院で流産を伝えられた。
9週2日の大きさで心拍が止まっていた。
それまでは豆粒だったエコーがその日は頭と身体がはっきりとみえたのに、先生はその姿を指して本来みえるはずの心臓の動きが見えていないということを説明していた。
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不安はあったが考えてもしょうがないと思いながら毎日腹巻をして過ごしていた。
たかが2〜3ヶ月でも体型はどんどん変化していき、悪阻がはじまってからは仕事も手につかず夫に頼りながらただ一日一日をやり過ごすほかなかったが、お腹に新しい命がいるという喜びに支えられた日々でもあった。
この冬には、来年には、、二人がもっと大きくなったら、、と家族が増えている景色を想像しながら引っ越しを整えていたのもある。
お腹にいるのにもう生きていないと言われたこと。
夫とふたりであるだろうと思っていた未来が突然途絶えたこと。
あまりのショックで家に帰るまで呆然としていたら、玄関にバタバタと息子を抱えながら出てきた夫から抱きしめられて、ようやく涙がちゃんと出てきた。
人生にはこんな辛いこともあるのかと思った。
いまでもエコーでみた最後の姿が遺影のように焼き付いていて思い出すたびに泣けてくる。
会いたかったなあ。
手術を終えて現実を受け止めることはできたような気がするけど、その気持ちだけは全然なくならない。まだ会いたいし、もうその気持ちと一緒に進むってことでいいのかなと思う。
スター
前の保育園を退園するときに、先生から「本当に寂しいです。〇〇くんはこのクラスのスターでしたから!〇〇くんなら他の園に行ってもぜったい大丈夫です」と声をかけてもらった。
スター。
あいつ、外でスターだったのかと思ったらちょっと可笑しくてその響きがしばらく頭に残っていた。
田舎の母に、お世辞かもしれないけどそんなこと言われた(笑)と伝えたら「お世辞じゃないよ。あんなに笑顔がいつもでるのが本当のスターだよ」と孫バカ炸裂の返事がきて、それでもばあばにとってもスターなのかと思ったら、なかなかやるなーと妙に感心してしまった。
この三週間、スターの成長には目を見張るものがあった。
他の子がみんな追いかけっこしている保育園でも一人ずっとハイハイで応戦していたスター。1歳3ヶ月で全然歩かないけど大丈夫なんだろうか....というわたしの心配を嘲笑うかのように、なんと引っ越して二日目にして突然歩行をはじめ一週間でハイハイなど忘れたかのようにスタスタ生活しだした。
あぁ.....前の保育園の先生たちにも見せたかったな.....。
それに、え?いつの間に?とこちらがいちいち驚くほどいろんなことへの理解が進んでいてかなり意思疎通がとれるようになった。
スターは食べ物のなかで今イチゴが一番好きなのだけど、食事が終盤にさしかかると必ず「コッコ(いちごの意)」と当然のように要求してくる。
「今日コッコないよ」というとイヤイヤと頭をぶんぶん振って、冷蔵庫を指差す。
帰り道スーパーでイチゴを入れていたのを見逃してはいなかった。
わたしが応戦につかれて、夫に小声で「いちごあげる?」と言ったのも聞き逃さないスターはその瞬間についよろこびで顔がにやけてしまうが、泣いてた手前もうすこし泣きを続けて、お皿が出た瞬間に「コッコ!コッコ!」と100点の笑顔をこちらに向けてくる。
昨日はしまじろう(パペット)にスパウトで麦茶をあげていた。
散歩行く?お外いく?というと嬉々として玄関へ自ら向かう。
おーい!と呼ぶとママぁ〜!と手を振ってくれる。
時間の流れが速いのか、子どもの成長が早いのか。
わたしの想像なんて清々しいほどに超えてくるスターの存在がほんとうに眩しい。
ときどき光に飲み込まれてわたしだけ置いてかれるんじゃないかと思う。
スターっているだけでスターなんだな。
ただいま1歳4ヶ月。転園奮闘中★