ブログをはじめた頃に、姉から「あんたは自分にばかり向き合い過ぎ」と言われたことがある。
そりゃあ自分のために書いてるし内面を文章で晒すんだから多かれ少なかれブログなんてそんなものじゃないのか、と当時は思っていた。
子どもが欲しいけどなかなか出来ず、不妊治療も仕事もなんだかやり切れていないような、生きることに少し息が詰まるような、たしかにそんな時期だった。
本当にここまでして子どもが欲しいのか、当時、延々自問していたこの問は、じつはまたここ数日考えていたことでもあるのだけど、
子どもを通して新しい景色をみてみたいっていう自分の素直な願望だったなぁと気付いたら肩の力がぬけた。
新しい景色をみてみたい。
それは、わたしにとっては海外の知らない世界を見てみたいと思うのとなんら変わらない感覚で、あまりに自然だった。
「子供を授かりたい」「母になりたい」とはこうあるべきっていう自分勝手な思い込みから、適度に重みのありそうな、それらしい答えを自分の中に探そうと必死になっていたけど、そんな必要はなかったなぁと川内倫子のあとがきを読んで心底ため息のような、不思議な感情が湧いてきている。
以下あとがき抜粋
仕事から逃げるという気持ちはなかったが、自分のことばかり考えている状態が息苦しくなっていた。自分以外の誰かのためになにかしたいと思ったが、その対象を男にする気にはならなかったし、未来に向かう子どもの世話をすることを本能的に欲していたのだと思う。
20代では感じられなかった「仕事の楽しさ」をほどほどに味わった30代半ばで、突然じぶんが子どもを持ってみたいと思うことに不自然さを感じていたけど、改めて考えてみたら全く自然なことだった。
もちろん、当時は授かれないかもしれないという気持ちも強かったから、その落差に自分が耐えられるよう心にストッパーをかけていたというのもある。
でも、仕事を通してもっと多くの経験をしたい、色んな国の人と繋がってみたい、想像もつかないような色んな経験をして成長したい、そういう欲望の延長に、子どもを持ちたいということがあっていいんだなと思った。
というかそういう自然な思いでみんな口にしていたのか、と思った。
女性が子どもを産むには、現実問題いろんなことを犠牲にしなければならないけど、その犠牲を天秤にかけて考えても答えがでないのは、その願いがあまりに本能的なところにあるからなのかもしれない。
もうすぐ一年を迎えるムスコとの暮らしは、毎日が新しくて彼には本当に感謝しかない。
もし、....もうひとり家族が増えたら、この先にどんな景色があるだろうと想像することはやっぱり止められないよなぁ。。。
スイッチがひとつ押されてしまった。
#読書