前回のブログでは惚気てましたが、直後喧嘩しましてイヤ〜な時間を過ごしてました。そんな日常です。タイトル下変わってるのでご査収ください。
不妊治療をへて、わたしたちは夫婦であり同志になった。そんじょそこらのソレとは信頼がちがうのよ、くらい思ってた自分に乾杯。
サルー!
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原因は結局いつも家事。今回も家事でした。
そろそろ自己分析からわかってきたことは、わたしの余裕がゼロになると一番負担に感じるのが【16:00 仕事終わり】から【18:00 保育園お迎え】までの2hに、献立考えて、スーパー寄って、家着いて週2くらいで離乳食作り置きして、っていうごはんにまつわる一連。
仕事しながら夕飯なんにしようかな〜って考えられるときはいいのだけど、忙しくなって全集中ゥ!(みてない)のときは終わった瞬間、あたま切り替えてスーパーまでの道のりで【冷蔵庫の在庫、安くなってそうな食材のめぼし、離乳食のストック、栄養バランス大丈夫か、離乳食と大人ごはんで使い切れるかどうかの食材消費イメージ】=献立作りをせねばならない。
KO N DA TE DU KU RI ✨
出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57672
ここ。これがわたしは一番きつい。
昔からあーあ...誰か考えてくれないかなーとは思ってきたけど、小さいのが増えると考えることが乗算になってくる。今だけなのかもしれないけどスーパーしんどい。
帰ったら帰ったで、家で(マイペースに)仕事をしてる(ようにみえる)夫を横目に大急ぎで食材片して、離乳食ストックつくって、お迎えまでの10分くらいソファでお菓子食べたりできたら上々。
これが数日続くと、夫への怒りに変換されてしまう。いとも簡単に。
じゃあ、離乳食ぜんぶレトルト買えばいいじゃんって、作らない人は思うと思うけど、家計!それに進む月齢に応じてこれ行けるかな...?とメニューを選んでたら膨大な棚を前に20分なんてあっという間にたってしまう。日々買いにいくのだってそれなりに頭と時間を消費する。
いかん、献立作りのしんどさについては延々書けてしまう。笑
しかもですね(まだ言う)、これにしよう!今日はこれ!多少お肉高くてもこれ!と強い意志で献立を強行しても、特売の圧 倒 的に安い肉を前に、その意志はいとも簡単に敗れます。献立やり直し、一から。
15分で終える予定だった買い物が30分かかります。ソファでのお菓子ぽりぽりタイム、はい消えたー。
正味、調理なんて全然苦じゃないんですよ。
ゴミ捨て、お風呂掃除、食器洗い、やったら終わりますよね。
頭使いますか?使いませんよねー。
なんなら他のこと考えれますよねー。
(╹◡╹)
聞こえますか...... 世のごはん担当「じゃない方」のあなたに問いかけています。
そりゃ喧嘩になるわ。こんだけ火種を抱えてたら。笑
献立作りに親殺されたんかって。
あーだーこーだ言いましたが、夫が在宅とか、お菓子タイム無しとか、本件から関係ないとこ色々削ぎ落としてくと、余裕があるかないかなんですよね、結局。
つまりは、余裕ゼロ時のしわ寄せが、わたしの場合「献立作り」にいくタイプってことなんだと思います。
というか書いてて気付いたんですが、【献立作りのしんどさ】が料理をしない人にまったく伝わってないっていうことにわたしは怒りを感じてるようです。
こういうことって、言えば言うほど、大変アピール!乙!みたいになっちゃうことはわかってるんだけど吐き出さないと感情が抑えきれない。
(╹◡╹)大切なことなので、もう一度いいますね。
調理よりもぜんぜん軽視されてるけど、
てか買い物自体が大変なんだと勘違いされてらっしゃるかもしれませんが、
何買うか=献立を決めることが
脳内スーパーマルチタスク
なんですよ!!!!脳hpの消費量hannpaない!
ということをベースわかって欲しい欲(よく)。
文章が情緒不安定(╹◡╹)
かの有名なコウケンテツ氏が、日本の家庭料理を指して「ワールドワイドハイスペック家庭料理」と呼んでるんですが、バラエティに富んだ食材を扱い和洋中バラエティに富んだメニューをデイリーにこなす私たちがしているのは「ワールドワイドハイスペック献立作り」でもあるっちゅーことですね。ええ。
あ、後半はイマジナリーよっしー(土井善晴センセー)が顔を出しました。
、、、とですね、
こんなことを溜め込みながも、毎日一応ごはん作りはしてたんです。
せっかく作った料理も喧嘩のわだかまりをひきずって食べると全然おいしくない。
楽しくない。
........わたし何のためにごはん作ってるんだっけ。
一人で作って一人でイライラして。夫は疲れてる日は作らなくていいよっていうのに完全に自己満じゃん。バカだなー
わたしは毎回バカだなーー
と思ってたんです。
そんな矢先、これを読みました。
『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』著・コウケンテツ
この本の発売は知ってたんですけど、勝手に内容を想像して「がんばらなくていいんだよ、ほらこんな楽ちんレシピあるよ」って言われることさえきつい.........今のわたしは料理がただただしんどくて受け取れない.....余裕のあるときに読もうって思ってたんです。
改めてタイトルを純粋によむと、お前こそ読めと思うのですが、ていねい暮らさなくていいと言いつつ、ていねいがめちゃくちゃ匂ってくる系のやつダロ、と決めつけてたんですねー。悪い癖です。
エッセイでもコウケンテツは裏切らないです。
(大人気、チキンは裏切らないシリーズにかかってます)
読み終えたらハイライトだらけ。
(以下、一部抜粋)
手料理=愛情のバロメーターではなく、手料理=余裕のバロメーターと考えた方がしっくりくるのではないでしょうか。手料理に必要なのは、心の余裕、時間の余裕です。
考えてみると生活の中で料理ほど多岐にわたる技術や知識の習得が必要で、なおかつだれもが当たり前にできることを求められるものは存在するのかな、と疑問にも思います。
一時は「レシピ本はもういらないのではないか?」とまで思っていた僕が気づかされたのは、レシピそのものが不必要なわけではなく、自分の「料理がしんどい」状況を変えてくれる、作って楽しい気持ちにさせてくれるようなレシピや、作る人の気持ちの寄り添うようなレシピが必要なのだ、ということでした。
本人は「何かを解決してくれる本ではない」と言ってましたが、押し付けではなくこんな考え方や方法もありかも?みたいな彼らしい穏やかなトーンでの実用的な提案がたくさん出てきます。
それがこの先も相当役に立ちそうだったので、電子書籍ではなく一冊置いとこうかなとも思ってるところ。
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コロナ自粛中にはじまったコウケンテツYouTube。
わたしが観てると夫もハマって、「お!ケンテツレシピ?!」と気付いてくれたり、「今まで食べた唐揚げで一番うまい」と感動してくれたり、チャーハンを奮ってくれたり、お腹減ってなかったのに二人で観てたらお腹減ってきて「今晩はこれにしてみようか」と動画通りに作って「うっま!」と刮目した後にさらなる創意工夫を話しあったり。
(書きながら思い出して、あの辛い時期を本当に救ってもらったなぁと泣けてくる)
その習慣は自粛明けてからも自然につづいてて、
家庭内だけにとどまらず、一時期は身内や友人へ「コウケンテツをすすめる女」と化していた。笑
大阪の友人宅では、むしろコウケンテツレシピ(サムギョプサル)をふるまってくれて、夫婦二組で「あ!みてる?!」「みてるみてる!!」「美味しいよね〜〜〜〜!!!!!」と大いに盛り上がった。
いまではチャンネル登録者数50万人。
コウケンテツのレシピ動画がなんでこんなに響くのか、エッセイを読んだらあぁ...こういう経験や思いが落とし込まれてるんだなぁ、とまた感動してしまった。
先週は、一人で作って一人でいらいらしてバカみたいと思っていたけど、いや、コウケンテツが応援してくれているではないか!と。
美味しいより、食卓が楽しいこと。
それが一番大事だ。
考えてみたら、レミもよっしーもあの手この手でそれを伝えてくれていたではないか。
ごはん作りについての悩みは人生をとおして付き合うことになると思う。
コウケンテツ、平野レミ、土井先生、三者三様めちゃめちゃ心強いぞ。
頼りにしてまっす。
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というわけで、
久しぶりに楽しかった昨日の食卓。
ワインじゃなくて日本酒を使うところがやさしい。あれ?しめじじゃなくて、マッシュルームなんだ、と思ったけど食べたら納得。しめじでもいいけどマッシュルームの風味が効いてて幸せだった。きっとあえてのマッシュルームという特別感は残そうと思ったんだろうな〜〜とかとか。もはやレシピではなくコウケンテツの創意工夫について話し合う食卓(笑)