母が迫ってくる

結婚して少し変わったなーと思っていた母との関係は、

息子が生まれてまた少し変わった気がする。

 

いくつになっても変化していくってなんかおもしろい。

 

三姉妹末っ子としてベーシックに育ったわたしは、

親に甘えることを是として成人後の20代も駆け抜けたので

母の母である以外の面について、

はじめて思いが至ったのが結婚の時だった。

33才。

 

婚約のあいさつに夫(当時は彼氏)をつれて実家へ帰ったあたりから、田舎へ嫁いだ母の景色がぽつりぽつりとチラつくようになった。

べつに母の態度になにか変化があったわけではない。

幾度となく通っているだたの道や、ただの夕暮れが、無意識に若かりし母の視座で入ってくる瞬間があったのだ。

 

それは東京に戻っても続いた。

夫の実家へいけば、あぁ母もこうやって義母と肩を並べて台所に立ってたんだろうなぁーと思ったし、式の準備で昔の写真を送ってもらうと、今の自分よりもずっと若い母親の姿に、なんだか新鮮に驚いてしまう不思議な感覚もあった。

当たり前なのだが、母は20代にして完全に母だった。

記憶にある母の顔をしていた。

---

 

うちは両親がずっと商売をしていて

母が化粧品を、父が洋品店を営んでいる。(いまも)

 

はたして休日なんてあったんだろうかというくらい

家でのんびりしていた姿は記憶にない。

 

毎朝、母は起きがけに化粧水をパチパチしてから

お弁当をつくってくれていて、

おにぎりはほんのりクレドポー風味だった。

 

夕飯の買いものはいつも閉店間際だった。

19時すぎに家について、そこから家事と夕食の準備、片付け。

 

たぶん、っていうか絶対にめちゃくちゃ忙しかったと思う。毎日。

 

それでも母の纏っている空気はいつもふわふわしていた。

笑顔の人だった。

 

そんな母にも笑顔でいられない日もあったにちがいない。そういう当たり前なことを30になっても考えてこなかったわたしに、

結婚後のいろんな出来事が母のストーリーを映し出してくる。

 

 

--

そして去年の12月25日、

息子が生まれた。

 

母は田舎から飛んできた。

まさに字のごとく飛行機を乗り継いで勢いそのままに

しごとを父に任せ、我が家でサポートしてくれた。

 

忘れもしない最初の二日間。

台所の使い方、調味料の置き場所、哺乳瓶のレンジ消毒のやり方、洗濯機の使い方..... 説明したことをぜんぜん覚えてない母に呆れ、しまいには老眼で家電の操作に苦労している姿に強くあたってしまったことを激しく後悔している。

母とわたしと赤ちゃんと、3人の生活はそうして始まった。

 

産後メンタルで育児のすべてにピリピリ・オロオロしていたわたしだが、

母はまったく意に介した様子もなく

小さな赤子と一緒にふわふわしていた。

 

赤子がどんなに泣き続けても、

「よーしよしよし♡、はーいはいはい♡、

泣きたいの♡ たまにはいっぱい泣きたいよねー♡」

と語尾にはぜんぶハートがついた。

 

その姿をみて、

わたしが頼りないから泣いてるわけじゃないんだ、と思えた。

 

夜中の授乳は、寝てていいよと言っても一緒に起きてミルクを作ってくれた。

母に見守られながらのシーンとした授乳は不思議な安堵感のある時間だった。

朝昼晩、母はずっと頼もしかった。

 

二週間がたった。

田舎へと帰る母を見送った朝、リビングに戻るとわたしと赤子ふたりになった。 

心細すぎて涙がでた。

 

---

 

育児は育児で、

またちがうストーリーを映し出してくる。

 

母がますます迫ってくる。

 

 

f:id:suratanmen:20201019171139j:plain

#母親  #回想