友「男の子と女の子どっちがいい?」
私「ほんとさーみんな云うけど、健康に生まれてきてくれたら、男の子でも女の子でもどっちでもいい!」
この言葉を吐いたと同時に、後ろめたいような黒いモヤモヤが胸に残った。
じゃあ、健康じゃなかったら?
妊娠するしないのずっと前から、我が家ではこの問題についてはわりと話してきた。そして私も夫も綺麗ごとは抜きに【出生前診断したい】という気持ちで一致していた。多分それは、夫の近くに自閉症の子を育てる夫婦がいたことにも少なからず影響を受けていたと思う。
妊娠が判明したその日、その話題を夫に振ると「今は考えたくない。それは来週以降に考えよう」と言われ、私もそうだな、今だけは素直に喜びを嚙みしめようと思って頷いた。そして、次に話したのはバンコクから帰ってきてからだったと思う。翌週どころか、ほぼ翌月。口にはしなかったが、お互いもちろん忘れていた訳ではない。
夫「もし、そうだって判った時に決断できるかな、、実際この状況になってみてオレは正直自信がない」
それは私が考えていたこととほぼ一緒だった。
私「うん、私も自信ない。....安心したい為にやるのは違うのかなと思う」
こんな流れで、ぼんやりと【しない】を採用した感じになっている。
【しない】 理由を探すことは案外簡単だ。
あなたは命の選択をするのか、障害者の人生を否定するのか、どんな子でも産むって決めていたから検査はしなかった...など、こっちの意見に傾くことの方が正直ラクだ。なんとなく正義はこっちにある感じがしてしまうし、その声は堂々と上げやすい。
一方で、【する】理由はなかなか口にしにくい。それに検査をするということは、正面きって問題と向き合うことだからシンドイ。
夫はどう思ってるかわからないけど、私は【しない】を採用したものの、それはどちらかというと、向き合うべき課題を単に先送りしているだけなんじゃないか?という感覚が拭えないでいる。
お腹の子が障害をもって生まれてくるかもしれない。
検査をしようとしまいと、その事実は変わらない。
出生前診断についての多くの情報をみていると、やはり大多数は【安心したいから】という理由で受けているようだ。だれも陽性が出ると思って受けていない。
辛い結果を告げられる誰かは、私以外の他人だろうと思っていた。
この動画を見るまでは。
NHKスペシャル『出生前診断 その時夫婦は』
4本に分かれてYouTubeに上がっていて、一本目がこれ。
調べてみたら2012年9月放送だそう。(かなり古い)
旦那は今日も飲み会で不在。
帰ってきてからこれを一人でみたのだけど、
途中からもう涙を垂れ流しながら、
胸が張り裂けるような気持ちで最後まで見た。
診察室で先生から辛い結果を告げられ、
泣き崩れる妊婦とその肩を強く抱きかかえる旦那の姿に、
自分たちを重ねない人はいないんじゃないかと思う。
番組では2組の夫婦に焦点をあてて、そこからの葛藤〜決断を追っている。
産む、産まない。
その答えは100家族あれば100通りだ。
そしてどの答えも計り知れない覚悟の上であること。
誰がなんと言おうと尊重されるべきであること。
今まで他人事だった景色が一変した。
苦しかったが見てよかった。
夫にも見て欲しいなと思った。
答えはまだ出ない。
番組HP: NHKスペシャル | 出生前診断そのとき夫婦は