分人主義

ここ最近、友人付き合いを離れ過ぎていて、

旦那と過ごす分人50%、仕事仲間と接する分人50%

ほぼこの二つだけで生きてる気がする。

 

あ、平野啓一郎の分人の話しです。

私たちは、確固とした自我のある「本当の自分」がいて、その上で、人付き合いの中で「キャラ」を変えたり、「外向きの私」を演出したりしていると思いがちだけど、

一人の人間には、色々な顔がある。つまり、複数の分人を抱えている。そのすべてが〈本当の自分〉であり、人間の個性とは、その複数の分人の構成比率のことである。

つまり、「会社での私」「家での私」「友達といる私」どれが本当の私だろう?ってことじゃなくて、その全部が私であるっていう考え方で、私的にはこの分人主義がとても腑に落ちてて完全採用している。

 

● 個人=indivisual(分けられない)

ではなく、

● 分人=dividual(分けられる)

 

だから、たとえ仕事で嫌な奴と接していている分人がいても、旦那と過ごす分人や友人と過ごす分人(自分が好きな分人)の割合を上げることでバランスがとっていけるという考え方。

最初に読んだのはこの本だったと思う。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

もっと早くに知ってれば

結婚する少し前、だから4年前くらい?

旦那には、昔からずーーーっと仲良くしているいわゆる“ツレ集団”がいるのだけど、私はその輪に馴染めないことを真剣に悩んでる時期があった。

今思い返しても、あのさくらんぼ狩りはまじで地獄だった。

総勢4カップルで車に乗り込み、わたしだけほぼ会話にも入れず(入らず)一人だけ、異様な空気を発していた。一日中無表情で過ごした帰りの車内では、連想ゲームがはじまり、反抗期のような目をしながら小さな声で答えるというさらなる地獄が待ち受けていた。考えていることといえば「来なければよかった」という後悔のみ。むしろ私以外の全員は「なんで来た?」と思っていたと思う。

その日の夜、ほとほと自分のことが嫌になった私は、旦那(当時彼氏)には「別れたい」と言い、自分自身はもう消えたいと思っていた。

 

仕事でイキイキ働いてる私が私であって、彼らと接してる私は私じゃない。

彼のことは好きだけど、こんなことなら私なんかと居ない方が良い。

わたしと友人どっちをとるか決めて。

表面>>> 「いや、もう別れたい。」そんな思考に陥ってた。

 

...あれは分人だったんだから、そんなに落ち込むことなかったのに。

それに彼にとっても、私と過ごす俺、友達と過ごす俺があって、べつにそれを一緒くたに考えなくてもよかったのに。

 

あのときこの本を読んでれば、 多分本当に悩まなかったと思う。

多分本当に。笑

 

分人主義、小学校の授業とかでやったら

心が軽くなる生徒はたくさん居るんじゃないだろうか。

 

平野啓一郎の小説はだいたいこの概念をベースに書いてるけど、

やっぱりこれが一番わかりやすくてフムフムが多い気がする。 

 

あ、冒頭の話し、

匿名でSNSと接する分人 10%

を加えておく。

 

#分人主義 #平野啓一郎