そんな一日

先日の掃き溜めブログがたくさん読まれたようで、アクセスの表の座標がぐんと高くなってしまって、普段のショボさよ!という悲しさが同時に押し寄せるという新しい経験を積んだ次第です。

 

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というわけで、誰もいない客席に向かって、普通のブログに戻りまーす、とマイクを置き、またペンをとる。

 

たくさんの反応があった

姉からは、

「ブログ読んだよ。これ悪者すぎじゃない?w 姉妹の雑談だから言ったんだよ。文字にすると余計にきつい」 >>たしかに、それはそうかも。

「それとさ、〝不妊治療してます〟って言えなくなるのは良くないことだと思ってるので、そこ、ちゃんと書いといて!」>>え、そうなの?

「それと同じように子どもがいることの素晴らしさを言えないようにはしないでね、ってこと」>>きつーー

 最後きつーー。「みんなそれをわかってるから、言えないんじゃん。だから一人で抱えてるんじゃん」と思わず反論したが、すればするほど悲劇のヒロイン感が出てしまう状況に、不毛だ、、、と思って口を閉じた。

 

ツイッターでは、こんな反応もあった。

「まぁ別に腫れもの扱いじゃなくても、しなくても困らない程度の妊娠や子供の話なら”わざわざ”しない、とかくらいは「配慮」というより「思いやり」みたいなレベルであってもよろしいのではと思う。」

なんか私の中ではすごく腑に落ちて、そうだなぁー、それが、よろしいなと。

 

あと、この匿名ブログを唯一知らせている(ロンドン在住の)友人からは、

「気を遣うとか遣わないとか、元々皆様色んな事でしてますよね?って思うわ。それが面倒なら離れてもらって結構。病気を治療してる人に、やっぱり何かしらの配慮したりするのも、心ない人は同じ事を言うと思うし。外国でのdiversityの捉え方みたいに、お互いそれぞれの立場があり認識する事。それだけでええんと思うな。寄せる必要はないのかと」

とメッセージがきた。やさしいなぁーと思ったし、その通りだなぁと噛み締めた。 

まぁ、ほんとみんな色んな経験をしながら、色んなことを考えて生きてるよなぁと当たり前なんだけど、そんな風に思った。

そんな風に思って、仕事にいった。

 

職場では、最近独立してフリーランスになった元上司と商談に一件いって、お茶して、夕方には、やりたいことが見つかったと言って退職する部下を送り出した。 

夜には、転職エージェントから的外れな案件が連投で飛んできて、これはいかん、と思い電話して結構ぶっちゃけ話したら向こうもぶっちゃけ話してくれて、ぐっと距離が縮まった。最後に「こんな遅くまで大変ですね」と言ったら「いえ、みなさん真剣ですので」と返ってきた。

 

そんな一日だった。

 

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