「素敵なワンピース着てるね」
「あれね、とっても美味しかった。教えてくれてありがとう」
「とっても素敵な宿だったわね」
「朝日がとってもキレイだったわね」
「いやー、みんな明るくていいね」
「みんなが揃ってるだけでうれしいねぇ」
「楽しい夜だなぁーー!」
「もう最高、最高」
わたしだったら
取り留めなく流してしまいそうな感情を
ちゃんと捕まえて言葉にする。
それが義母、そして義父だ。
(ピックアップしたのは、前半がby義母、後半が酔いとともに加速するby義父の言葉)
たとえば、宿に到着して、
出されたウェルカムドリンクをみんなで飲む。
「わぁ、これ美味しい」と笑顔でいう義母。
頭をよぎった小さなポジティブ感情を何一つ流さない。
流さないどころか、一つ一つ取り出して、口にして周りと共有までする。
「そのバッグ素敵ね」とか、「いい人たちに囲まれてるのね」とか、「◯◯ちゃんは、そういうところが良いよね」とか、そのベクトルは様々だ。
夫婦は似てくるというから結果的にそうなったのか、もともと似た者同士がくっついたのかわからないが、二人揃って褒め上手で、めっぽう明るい。
むかしNHKの番組で、南米コロンビアの人たちは、貧困層が多いにもかかわらず幸福度がとても高いのだと特集していた。よく行くレストランにいっても「本当にこのレストランは素敵!」「ここのジュースはいつ飲んでも最高!」と何度だって口にする。休みの日には家族で集まって「お母さんの料理が一番だよ!」「うちの家族は最高だ!」と言い合う。そうやって、日々の幸せをみんなで味わい、人生をハッピーに過ごしているのがコロンビアの人たちなのだそうだ。
義両親も同じ番組をみていただろうか?と思うほど、その姿は重なる。
人間だれしも、"悪い時"を経た直後は日々の小さな幸せを見つけるのが上手になるが、時間の経過とともに、その毎日が当たり前になってしまうとそれはやっぱり難しいと思うのだ。でも二人にはそれを感じない。
“無いもの”ばっかり見てないで、“あるもの”を実感して生きる。
言うは易し行うは難し...とはこのことだ。
もしかしたら、一つ一つ口に出すことで、「当たり前」防止効果があるのかもしれない。
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この週末は、一泊2日で【義父70歳おめでとう】の熱海旅行をしてきた。
もはや自分の家族と同じくらいリラックスして過ごせる義家族。
チェックインからチェックアウトまで、義両親は本当に嬉しそうで、コロンビア人さながら口から終始喜びが溢れていた。
お祝いにいったのにこっちが元気をもらってしまったなぁ。
わたしは、この家族に迎えてもらえて、ほんとーに幸せでぇーーーーす!!
まだコロンビア人見習いなので、ここに記しておく。
尊敬するし、自分たちもそうありたい。
夜はみんなでトランプ大会。ババ抜きはこの人数でやると結構盛り上がる。「持ってるの誰ーー?!」と大声で言っていた義母がジョーカーホルダーだった。やるな。笑
#熱海 #温泉 #義家族集合