孤独なパトロール

引っ越して一年経った。

内覧のとき、「なんかここ天井低くないですか?」と夫がつぶやいたら、「あ、えぇーー、昔の人は身長が低かったんで」と不動産屋の若造が汗を拭きながら返してきて「いつの時代の話しだよ!」と思わず二人で突っ込んだあの日が懐かしい。

たしかにマンションは私たちより歳上だったけど、外も中もキレイに改装されてて、悪くないねと時間的猶予が無いなか決めたんだった。

 

実際、住めば都だった。

天井の低さもなんのその、かなり快適に過ごしている。なんてったって、私にとっては電車通勤が1時間半から20分になった。最高かよ。家賃は1.5倍になった。家具を少しづつ買い換えたり、植物を枯らしては買ったり、教祖さまの前で開脚したり、飲み歩いたりしてるおかげで全然貯金が増えない。それが問題だ。早期解決も見込めない。お金を貯めるセンスがない。

暮らしを、身の回りをちょっと快適にしようと思うとすーぐお金がかかる。

〝ていねいに暮らす〟ことは本来身の丈に合わせたライフハックなはずなのに、その土台としての「心の余裕」を備えるまでに投資しまくってる状態だ。

とはいえ、通勤時間が半分になろうと、漬物をつける予定もないし、そんなレベル以前に、作りたくない時はウーバーイーツで頼んじゃうし、近所へ飲みに出掛けたい。そのために働いていると思えば、がんばれる気さえ湧いてきた次第です。えぇ。 

 

ていねいに暮らさない

決して「ていねいな暮らし」を馬鹿にしてる訳ではないけど、時間とお金があるから出来るんだろうと、どこか冷ややかな気持ちでもみている。もちろん人それぞれ暮らしのペースは違って当然だけど、メディアやお店が、さもそれこそ素晴らしいみたいな写真や言葉で刷り込んでくることに、もうやめませんか?という気になっている。煮干しで出汁をとったり、豆を煮たり、余った布を有効活用したり、、、そうやってひと手間かけることを美学というならば、わたしは一生ていねいに暮らさないぞ!と一人陣地で武装している。

当然、だれも攻め込んでは来ない。

わたしが勝手にギロついてるだけだ。

 

そこで、ゆがんだ思考だと理解しつつも「ていねいな暮らし」信仰を盾に器や道具、雑貨を売り込んでくるあれこれに目を光らせている。

オンラインでも実店舗でも、そんな価値観を強めに押し出してきた時点で、うむ、匂うな。撤収じゃーい!とまさにダレ得のパトロールをしている。いや、しておる。

撤収は「買わない」という最大の攻撃。

わたしたちは、豆煮てますよ〜そっち側の人間ですよ〜という顔でリネンのエプロンをつけて近づいて来ないでほしい。わたしは、時間があってもなくても、ひと手間減らしたい側の人間なのだ。

 

入り口に、日用品と掲げてる場合には用心してかかっている。店主がおしゃれがどうかを見てほしい。おしゃれじゃなかった場合、セーフだ。おじいちゃんもセーフだ。問題は、おしゃれなおじさんだ。まずオシャレかどうかの判断がむずい。「こだわりがない」という強烈なこだわりを秘めている場合がある。うっかり穏やかな雰囲気につられて踏み込もうもんなら、涼しい顔して顔面に毒を吹きかけてくる輩がいる。そのイメージを持たずして懐に入るなかれだ。気をつけて欲しい。

 

こんな調子であるからして、気に入った器や雑貨を買うのもひと苦労だ。本末転倒とはこのことかもしれない....。ん?矛盾か? 

 

ほんまつ-てんとう【本末転倒】

根本的で重要なことと、ささいでつまらないことを取り違えること。

 

矛盾をググるまでもなかった。 こっちだ。

そして、ここまで書いた全てを一刀両断された。

 

もう長くは語れない。

胸から血を吹き出しながらも、どうか、、、、

どうか、こんな歪んだ思想に陥る女性が、これ以上増えませんようにと願っている。

 

豆を煮るかどうかの話しではない。

わたしだって、たまには煮る。 

 

さらばじゃ。

 

f:id:suratanmen:20181019093124j:plainトロール中に脳内再生しているLINEスタンプ「いけぇぇぇぇーーーー」

#夫婦二人 #ていねいな暮らし